Saturday, July 29, 2006

 

Tiziano Ferro



彼の歌を聴き出したのはいつのことだろうか。たぶんデビュー間もない2002年ぐらいだったと思う。他のラテンシンガーと比べてちょっと特徴があったので始めはそんなに好きでもなかったが、聴けば聴くほど味が出てくる声というのだろう。だんだん心地よくなってくる。なぜ他のラテンシンガーと違うのか。簡単なことだった。彼はローマ郊外の田舎町で育ったイタリア人である。詳しい経緯はよく分からないがどうやらレコード会社の思惑でイタリアでの成功を機にラテンワールドに飛び込ませたみたいである。彼はもちろんスペイン語で歌うのだが、音はR&BをベースにEuro PopやHip Popをミックスしたものと言ったらいいか。始めはクセがあるが音がホントに心地よくなってくる。

6月に発売された3枚目(?)のアルバムがNadie esta solo



実は今日買ったばかりで今聞きながら書いている。期待を裏切らない音。

2枚目と1枚目が次。





私は2枚目が一番好きだが、どれも甲乙をつけがたい傑作。3枚目の試聴のリンクをつけておくので、モノは試しに聴いてみては?リンク

Thursday, July 27, 2006

 

BARTでの光景3



別にここだけではないだろうが、BARTで毎日通勤しているとだいたいほとんど同じ人たちが同じ電車に、また同じ場所から乗る。また、車内で席が許す限り同じ場所に座る。一種の集団ルーティン化である。だから、ある日突然その中の1人が見当たらなくなったとき、通常どうしたのかな?思う。それでバイバイのときもあれば、数日経ってまた同じルーティンの中に戻る。これだけ見ていても、人間の行動って奇妙であり、おもしろい。今回はその中の1人について紹介しよう。この人は30代半ばのラップトップ大好きスキンヘッドオヤジ(そういう自分もオヤジか)。いつも私と同じ列から電車に乗る。私の使うSouth San Francisco駅では朝は1時間に4本の割合で電車が来る。この人はだいたい前から3人目か4人目の辺りに並ぶのだが、電車が来るまで地べたに座り込んでラップトップで何かを見ている。ここでちょっと考えてもらいたい。今言ったように電車は一時間に4本。つまり15分に1本の割合。前から3人目か4人目ということは、まぁ、だいたい前の電車が行ってから2分ぐらいは経過している(と思う)。並んだ後、地べたに座ってラップトップを立ち上げるには最低でも3分はかかるのではないだろうか。そして私たちが乗る電車が来る1分前ぐらいにラップトップを閉じ、かばんにしまい、立ち上がる。ここで逆算していくと、どんなに多く見積もっても、正味9分しかラップトップを使えない。傍から見ているととても無駄の多い行動に見えるのだが、そこまでして一体ラップトップで何をしたいのだろうか?残念ながら私はいつも列の最後の方なのでそこからは彼が何を見ているのかは見えない。ただ、ひとつ言えることは、ラップトップのキーをたたいているわけではない。それにいつもヘッドフォンをつけている。考えられるのは何かミュージックビデオの類いを見ているのではないだろうか?それにしてもそこまでして見たいものっていったいなに? ナゾである。別にこの人をネタにピックしたいわけではないが、他の人たちと比べるとあまりにもナゾが多い行動が目立つので今回ここで取り上げることにしました。これはSouth San Francisco駅のあるひとつの列でのお話。このプラットフォームには他にも、いや、他の駅でも違ったドラマがあるだろう。

Tuesday, July 25, 2006

 

BARTでの光景2



写真の駅はBARTのSouth San Francisco駅。家から車で5分もかからない駅でよほどのことがない限りこの駅を使って通勤する。よほどのこととは、帰りが遅くなるとき。その場合、本数が多い2駅SF寄りのDaly Cityの駅を使うが、通常の日はこの駅。さて、帰りのBARTでこの駅に到着する前に旅行者から不思議な質問を受けることがよくあります。その質問とは...

「空港へはここで下車するのか?」

もう慣れていることとは言え、未だに聞かれるとちょっと驚いてしまうのだが、なぜ、この駅を空港の駅と間違えるのか、謎である。しかも旅行者は必ず路線マップを見ているにもかかわらず、何かにとりつかれたかのように条件反射的にこの質問。

いろいろ考えてみたが、もしかしたら2つ考えられる。

ひとつは駅名。この駅に着くまで旅行者にしてみたらSan Franciscoとは想像できないような駅名が続く。Glen Park, Balboa Park, Daly City, Colma... とくにParkなんて名前の駅が続くからとんでもない郊外に来てしまったと錯覚し、ホントにこの電車でいいのだろうかと不安な気持ちになっていたときに聞き慣れた"South" San Franciscoの駅名。このSan Franciscoの文字がSFOを連想させるのではないだろうか。

もうひとつは地下の駅。この駅に着くまでの4駅は地上に出てることが多いのだが、South San Franciscoに着くと地下の駅。しかも割りと新しい駅で構内がちょっと光っているから、そういう雰囲気が空港と錯覚してしまうのかもしれない。

普段使っている人はもう慣れてしまっているからこんなこと考えもしないだろうけど、旅行者の気持ちになって考えるとありえるかもしれないなぁと思います。South San Francisco駅ネタは実はもうひとつあるのだが、それは”BARTでの光景3”で。

Sunday, July 23, 2006

 

BARTでの光景

これは別にBARTではじめ気が付いたわけではないが、去年、H&R Blockの講習に行っていたころ、ひとりのおばさんは私にとってはかなり奇怪なバックをもってクラスに来ていた。一体あなたはどこから来たの?って感じ。そのバックとは次のようなもの。





バックパックのくせにローラーがついていてそれだけでなくよくスーツケースについているようなハンドルまでついている代物。一体なんなの?って感じ。だってさ、バックパックはかつぐものであってローラーで運ぶものではないでしょ?それを恥ずかしくもなく2~3ブロック平気で歩いているからね。BARTに乗ると必ずと言っていいほど、この手のバックを持って通勤している人がいる。でもこれって車内ではとても迷惑。BARTは2人掛けのシートがメインだが、まずこの手のバックを自分のひざの上に置いて隣に人が座れるようにしようという考えはそもそもない。かと言って、隣の席にこのバックを置くわけではない。持ち上げないで隣の席の前にバックを置くものだから、隣に人が座れないのである。そもそもこのバックを使う人の頭の中には地面からバックが離れるという考えがないのである。これはあくまでBARTの中でのことだが、BARTを降りて自分の会社に向かうまでやはりこのバックを引きずっていくのだろうか?なんかSFのFinancial Districtで人の迷惑も考えないで引きずっている人たちの姿が目に浮かびます。

Saturday, July 22, 2006

 

欽ちゃん球団解散撤回



一体何を考えているのか。まぁ、日本人によくありがちな行動パターンだからこの決断はある意味予想の範囲内だったが、ゴールデンゴールズの解散撤回が欽ちゃんの鶴の一声で決まった。それも前回解散すると言ってから一週間もしないうちに。よくありがちな行動と言ったのは、日本人の表と裏の見極めである。口では解散すると言っておきながら、内心、本気で解散するなんてはじめから思っていなかったということである。でないと、こんなに早く決断を覆すはずがない。欽ちゃんはテレビでの顔しかしらないけど、この人、意外と策士なのかもしれない。と言うか、マスコミの使い方をよく知っている。私が思うに、今回の件は世間の反応を確かめるためにあえて大胆な行動をとったのだろう。それに踊らされた民衆はもちろん辞めないでコール。これで完全に不祥事をやった選手だけが悪いと思わせ、球団自体はさらにクリーンなイメージだけが残ることになる。そのことをマスコミを通じて日本中に思わせる思惑だったのではないだろうか。これで誰も球団に対して悪くは言わなくなるというのは甘い考えである。踊らされた民衆はともかく当事者である球団選手や職員。一体この決断をどんな思いで受け止めただろうか?私は素直に喜べないような気がする。球団の解散は撤回されたが、人の心はそんなに器用には出来ていない。今回のことが原因で人の心と心の間に隙間が出来、近い将来収集が出来なくなり、球団自体が空中分解するような気がしてならない。

これも表と裏の見極め。表では欽ちゃんの求心力はあるように見えても、裏ではもうないだろう。

Thursday, July 20, 2006

 

並べない人たち



BARTで通勤をはじめてから最近気になることだが、並ばないで横入りをする人がいる。まぁ、こんなことはいつでもあることだが、横入りは一昔前まではアジア系の人たちの代名詞だった。が、最近はアジア系ではなく白人系がほとんどである。それも若い人たちではなく、中年層に多い。一体、なんの変化があったのだろうか?大抵どういうタイプなのかが決まっている。アジア系と違うところはこの白人系のひとたちは完全に危ないタイプである。まず並んでいる人たちが見えない。遠くを見ている眼をしている。こういう言い方をしたら偏見があるように聞こえるかもしれないが、いかにもコンピューター関連風の人。もしかしたら、バブルがはじけ、レイオフを繰り返すうちに精神が病んでしまったのかもしれない。と思いながら、いつもこの人たちを眺めている毎日である。

Wednesday, July 19, 2006

 

欽ちゃん球団解散



ニュースで流れていて知らない人はいないだろうが、萩本欽一率いる社会人球団の選手の不祥事のために球団の解散を決意した。この件についてどう思うだろうか?

答えはひとつ。この決断はもってのほかである。とても常識人の行動とは思えない。確かに責任の重さを痛感したい気持ちは分からなくもないが、もし、一般社会に置き換えれば、彼の行動はこういうことになる。一社員の不祥事のために会社の社長が会社の解体を決意したのと同じこと。または、自分の子供の不祥事のため、離婚・家族離散を決意したのいうのも今回の行動に当てはまるだろう。こう考えれば、どんなに常識外れか分かるだろう。球団には不祥事を起こした選手だけでなく、他にも夢をもって野球をやっている選手もいるだろうし、ファンもいるだろう。それらの人たちの気持ちを無にしないためにも、球団のトップとして気持ちを新たに活動を続けなければならないはずである。

何を考えているのか分からないが、私は少なからず、サッカーの中田の引退も影響を受けたのではないかと思う。引き際の美学とでも言うのか、でもここではその美学の使い方を過ったような気がする。もうここまで来たら、解散撤回なんてことは止めてほしい。もしそんなことでもしたら、さらにドロ沼化しマスコミのバッシングの対象になるだけだ。

Saturday, July 15, 2006

 

Bobby Valentine Bobblehead

ちょっと前のことだが、妹から先日頼んでおいたバレンタイン監督のBobbleheadがようやく届きました。




さすが日本でデザインしただけあって同じ中国製であってもリアル感が全く違う。そう思ったのもつかの間。持ち上げてみてちょっとがっかり。重くない...日本のBobbleheadはみんなこんななのだろうか。アメリカでのBobbleheadはずっしり重量感があり、手にかかる重さも私としてはBobbleheadの楽しみのひとつなのだが。SFジャイアンツ時代の新庄のBobblehead。これはファーストフードの店で確か7ドルぐらいで買ったのだが、これでも重量感がある。



私は重さも首振りに影響すると思うのだが、たぶん、文化の違いだろう。デザインは完璧なのでまぁよしとしましょう。さて、私は何体Bobbleheadをもっているのだろうか。確かにアメリカでは似ていないBobbleheadは多いが、その中でもこのバレンタイン監督のものに引けを取らないほどリアル感があるものがある。それが下のもの。



バレンタイン監督といっしょに並べてみたが、よく出来ているでしょう?特にBobby Crosbyのはうまく彼の表情を掴んでいるなと思った。前にも書いたが、彼のユニフォームのSacramento RivercatsはおなじみOakland A's傘下のマイナーチーム。今、千葉ロッテで活躍のMat Watsonが直前まで所属していたチームである。前インディアンズの多田野も今ここにいる(正直言って彼の成績は悪すぎ。今年いっぱいしかいられないような気がする)。Watsonは今年Rivercatsで絶好調だった。だが、何せA'sでの活躍の場がない。外野の選手層が厚いからチャンスがまわってこない。そんな中、千葉ロッテという新たな活躍な場を与えられ頑張っているから、応援しています。Bobbleheadとまではいかなくても、なにかワトソン・グッズができないかなとロッテのウェブをチェックしている毎日です。

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