Monday, April 25, 2005
納得
今朝、日系人の人とメールのやりとりをしていて、なんか納得したことがあります。その人も厳密には日系人だけど、なぜ自分がここにいる日本人や日系人に対して違和感を感じるのか。簡単なことでした。遠慮がない。それだけです。一度でも何か親切にやってあげることがあると、それが当たり前のことになる。その後、それをやり続けないと何故やらないんだ?と逆に責められる。こっちがどんなに忙しかろうが、これが終わるまで待ってくれるかと言ってもそんなの関係ない。彼らにとって彼らのリクエストがどんなことよりも最優先なのである。最悪の場合は会話にならない。こっちが今出来ないと言ってもまるで聞こえないかのように、自分の要件をさっさと言ってその人たちはその場を立ち去る。私の周りだけかもしれないけど、こういう人がほとんどなので、違和感を感じます。その点、日本人・日系人以外ではAuditorという人種を除いてまずそこまで遠慮がない人にお目にかかったことがないです。だから、自然とそういう人たちとつるんでしまう私です。今朝の日系人の人もある日本人のグループから抜けたがっていて相談されました。Give and Giveね...その人たちの合言葉。
Comments:
<< Home
日本の会社であっても、ここはあくまでもアメリカ。もし日本人だけが働いているならまだしも、アメリカ人(非日本人)も数多く働いているし、彼らが会社にもたらす貢献も非常に大きいですよね。
そう、遠慮がない。日本人がよくアメリカ人に対して使いそうな言葉だけれども、Shutokuさんの言うようにその逆だと私も思います。日本の体制をそのまま異国の風習に押し付けているのですから。アメリカかぶれしろ、といっているのではなく、年齢ポジション関係なく単に相手をRespectした対応をすればいいだけのことですよね。
そう、遠慮がない。日本人がよくアメリカ人に対して使いそうな言葉だけれども、Shutokuさんの言うようにその逆だと私も思います。日本の体制をそのまま異国の風習に押し付けているのですから。アメリカかぶれしろ、といっているのではなく、年齢ポジション関係なく単に相手をRespectした対応をすればいいだけのことですよね。
遠慮がないんです。いろんな意味で。ひとりの人として恥ずかしくない行動をしてもらいたいものです。常識という言葉は好きではないけど、自分にとってはいいと思えることでも、もし大半の人がそのことをいいと思わなかったり受け入れないのなら、それがいわゆる常識というものではないでしょうか。ただ、それも根本的なことから場所ごとのものもある。日本という島では大丈夫なことが他の場所では通じないこともある。それこそ、根本的なことプラス場所に応じた行動をしてもらいたい。これはYoukaさんがいうrespectした対応も含まれます。
Post a Comment
<< Home